渡辺たかお物語

”医学のお世話になった思い”からの決意―――

中学時代、駅伝の選手だった私は、3年生の冬の対抗試合目前に結核の初期感染となり2年間にわたって闘病生活を送ることになりました。
  • 昭和25年2月 茨城県石岡市生まれ
  • 昭和37年3月 石岡市立東小学校卒業
  • 昭和40年3月 石岡市立府中中学校卒業
  • 昭和43年3月 茨城県立土浦第一高等学校卒業
その時、何としても病気を治そう、命を救おうと手を尽くしてくれた医師の励ましを目の当たりにして、この恩返しがしたいと思いました。そして、高校3年の時、私も同じ医学の道で使命を果たしたい、と決意しました。

―――脳卒中の予防の治療の研究に取り組む

高校卒業後、東北大学医学部に進学。仙台で下宿生活を送りました。
その後、当時死因の上位にあげられていた脳卒中の研究で世界的に有名な鈴木二郎教授(故人)、吉本高志教授と出会い、脳卒中の予防と治療の研究に積極的にとりくみました。
  • 昭和49年3月 東北大学医学部医学科卒業
  • 昭和49年 東北大学医学部脳神経外科医局に入局

脳神経外科医として2000人に及ぶ手術

これまでに脳神経外科医として2,000人に及ぶ手術に携わり、尊い生命を救う手助けをさせていただきました。
中でも、くも膜下出血の原因である脳動脈瘤の手術は、わずか1ミリのくるいも許されず、ベテランの医師でも緊張するものです。私も自分の生命をすり減らす思いで手術を行って参りました。
  • 昭和52年10月〜54年3月 厚生技官(国立療養所宮城病院外科・国立仙台病院脳神経外科)
  • 昭和54年4月〜57年3月 文部教官(東北大学医学部附属病院脳疾患研究施設脳腫瘍部門助手)
  • 昭和54年10月〜55年2月 米国マイアミ大学医学部留学
  • 昭和57年4月 米沢市立病院・脳神経外科医長
  • 平成3年4月 同脳神経外科部長、手術室長
  • 平成5年4月 同第二診療部長、脳神経外科長
  • 平成7年3月 同病院退職
  • 昭和59年4月〜平成7年3月 東北大学医学部・非常勤講師

“ひとりのために…”

医師としての経験を活かして、政治の分野でより多くの人の生命と生活を守るよう皆様からご推薦いただき、平成7年の参議院選挙に立候補し、初当選させていただきました。
「生命の尊厳を守る、その初志を貫く政治家であれ」「人間の生命を守る仕事にはわずかのくるいも許されない」といつも自分に厳しく問いかけ、政治家として行動して参りました。
2期12年間(平成7年〜19年)で、国会質問を200回以上させていただき、応援してくださった皆様の声や地域で頑張っている方々の声を国会に届け、その要望にこたえてまいりました。
平成13年4月2日には、それまでの活動を「ドクターたかおの『為せば成る』」という一冊の本にまとめ、出版しております。

今後も医療・福祉・環境をはじめ、ありとあらゆる分野に“人間主義の正義のメスを”との決意で初心を忘れず一生懸命戦って参ります。

これまで診療を行ってきた病院

  • 【北海道】 帯広第一病院(帯広市)
  • 【青森県】 青森県立中央病院(青森市)、八戸市立市民病院(八戸市)
  • 【岩手県】 岩手県立中央病院(盛岡市)、岩手県立宮古病院(宮古市)、釜石市民病院(釜石市)
  • 【宮城県】 東北大学医学部付属病院(仙台市)、東北大学医学部付属病院長町分院・広南病院(仙台市)、国立仙台病院(仙台市)、仙台市立病院(仙台市)、国立療養所宮城病院(山元町)公立気仙沼総合病院(気仙沼市)、赤石病院(塩釜市)
  • 【福島県】 いわき市立総合磐城共立病院(いわき市)、寿泉堂綜合病院(郡山市)、白河厚生総合病院(白河市)
  • 【栃木県】 上都賀総合病院(鹿沼市)
  • 【富山県】 済生会富山病院(富山市)
  • 【千葉県】 国立精神神経センター国府台病院(市川市)

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